秋が始まった頃。
一ヶ月ほどスペインで休暇を過ごした僕は、帰国するため特急列車に乗り、
空港へ向かう。
前の席に座っていた老夫婦は、今朝ホテルで食べた低脂肪ヨーグルトは
失敗だったわ、という話から、日本語の「ヤマカン」という言葉は山本勘助という
サムライが由来しているのは本当か否か、という話で言い争いを始めた。
うんざりした僕は、食堂車両にコーヒーを飲みに行く。
適当な窓際の席を見つけて座り、読みかけの本を開く。
ページをめくり集中しかかってきたとき、後ろの席からハミングが聞こえた。
どこかで聞いたことがある、鼻にかかった声。
僕は後ろを振り返ってみる。
「やあ、こんにちは。どこかで聞き覚えがある声とメロディだったもので。」
「気に障ったならゴメン。ジェフ・ハンソンを聞いてたんだよ。」
「ああ、ジェフ・ハンソンでしたか。彼って、外見は小熊みたいだけど歌うと
とてもきれいな声なんですよね。 たしか何年か前のライブだったな。」
「君、ロバート・シュナイダーは好きかい?」
「ええ、もちろん。でもエスプレッソほど毎日ではないですけどね。僕のトップ・ファイブですよ。」
「トップ・ファイブを作るときには不可欠なアーティストだね。いつだってどんなときでも
ランクインする。」
列車はオーストリアのウィーンで停車した。
「どうですか、少しウィーンの街でも散歩しませんか?」
そんなわけで、僕らはウィーンの街を散歩することにする。
秋が深まったウィーンの街並み。
路面バスに乗って、勘を頼りに途中下車。カフェに寄りコンパナをクイッとひっかけ、
小さなレコード屋でオブモントリオールの「Hissing Fauna~」の日本版を見つけた。
僕らは揃って購入。ケビン・バーンズの曲解説と歌詞を楽しむ。
僕が買ったやつは、曲間が途切れていた。
「きっと日本仕様なんだよ。日本人ってのは、「間」を大切にするからね。」
夕方の遊園地で、展望台からウィーンの街を見下ろす。
彼は望遠鏡で夕暮れの街並みをあちこち見回しながら、幼少時代の話を始めた。
「僕が声変わりしたのは、たしか14歳くらいだったかな。声は父親に似るってのは
本当なんだね。僕が電話に出ると、よく親父に間違えられたもんだよ。
あまりに皆に似てるって言われるもんだから、あるとき知り合いの音楽プロデューサーにいたずら電話してみたんだ。どんな反応するんだろう、って思ってね。
「ヘイ伯爵さん。久しぶり。いつのまにかすっかり偉くなったもんだな!」
って具合でね。いたずらがバレたときはこっぴどく怒られたよ。
でもちょっと、彼にとっては冗談が過ぎたかな。」
辺りはすっかり暗くなり、街灯が路地を照らす。
公園でタバコとアイスコーヒー休憩をしていると、占い師風のオバさんが
「手を見せてごらん」と近寄ってきた。
「あなた、アジアの島国に縁があるわね。そうね、インドネシアか台湾か日本あたり。
一度行ってみるといいわ。素敵な人に出会えるかもよ。」
適当なこと言うオバさんだな、おおよそ僕らの顔を見て、手なんか見てなかったんだろう。僕はオバさんにコイン渡すと、
「素敵な夜を!」
ニヤリと言い去って行った。
路地裏にあるバーに入ることにする。
入り口には、今夜の出演ミュージシャンの立て看板。地下へと続く階段を降りドアを開くと、がやがやしたざわめきとアコースティックギターの音色が聞こえてきた。
フロアでは、ぽっちゃりした眠たそうな目の男が、僕がとても好きな曲を演奏している。
「♪ 日が昇ったあと、幸せになれるのは誰・・・・?」
僕らはビールを片手にマシュマロコーストの曲を楽しみ、ピンボールを30分程プレイした。
その後も、僕らはあてもなくウィーンの街を歩いた。
大きな通りを歩き、住宅地に入ると家と家の間の細い路地を歩いた。
川にぶつかれば、川伝いに歩く。
「ワインでも飲まないか?」
僕らは適当な店を選んで入り奥の席に座って、数分ほどボンヤリと時間を過ごす。
突然彼は席を立ち、カウンターに向かって行った。
途中で後ろを振り返り、僕にウインクする。
カウンターには、バーテンダーがグラスを磨いていた。
彼はそのバーテンダーに「ねえ、ちょっと君」と、話しかける。
「君をウィーンで最高のバーテンと見込んで、頼みたいことがあるんだ。
実は前からずっと飲んでみたかったカクテルがあるんだ。君なら作れるんじゃないかな、と思ってね。テーマは「ミステリー・ジュース」。でも、ジュースみたいに飲みやすいカクテルじゃない。「飲みやすくて美味しい酒」なんて僕は嫌いなんだ。だったらワイングラスにぶどうジュースでも注いで飲んでろ、って話だと思わないかい?
僕が欲しいのはね・・・。バスタブ型の宇宙船に乗った恋人が太陽に向かって旅をするんだ。太陽にだんだん近づくにつれ、2人は光合成を始める。その副産物のでん粉がバスタブから溢れ、風に吹かれて荒涼の大地に根付き、大地にはジャガイモ畑が広がるんだ。
そしてある夜、そのジャガイモを食べた通りすがりのカウボーイは、悲劇に見舞われる。
すっかりそのジャガイモに心を奪われてしまった彼は、農夫になると決めたんだ。そして馬乗りも止めてしまった。畑を耕すときに、もう馬なんて役にたたないって理由でね。
主人も走る目的も無くした可愛そうな馬は、失意のあまり長い首をくくって自殺した。その馬が、窒息する寸前に流した一滴の涙みたいなカクテルを作ってくれないか?」
バーテンが呆気に取られてる間、僕はカウンターに忍び込みワイン1本とグラス2つを
バッグに入れ、先に店を出る。
「いや、別に無理ならいいんだ。じゃあね、また来るよ。」
店を出た僕らは近くの草原で、寝転んでワインを飲んだ。
「あのバーテンの顔ときたらなかったぜ!」そんな話で笑い転げるうち、
酒が弱い僕は、歩き続けた疲労も手伝ってか、いつの間にか眠りに落ちた・・・。
太陽がうっすら地平線から顔を出し、朝日が草原を照らし始める。
彼の鼻にかかったハミングが聞こえる。もう起きてたのか。ボサノヴァ調なハミング。
アルバムのA面2曲目には、もってこいなかんじだな、と思いつつ、僕は再び目を閉じ
二度寝する。
その朝の彼の顔は、今でもはっきりと思い出すことができる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてもう一度目を覚ましたとき、彼の姿はどこにもなかった。
飲みかけのワイングラスが2つ転がっていた。
朝のウィーンは、少し肌寒かった。
ジャケットの襟を立て、手をポケットに突っ込み、僕は1人駅へと向かう。
小腹が減ったので道すがらのカフェに入り、クロワッサンサンドを注文し
熱いコーヒーで朝食をとる。
駅のホームは、始発だというのにすでに人で賑やかだった。
僕は朝刊とコーヒーを買って列車に乗り込み、適当な窓際の席を選んで座る。
発車の警笛がホームに鳴り響く。
ウィーンともお別れ。昨日の出来事を思い返しながら窓の外からホームを眺めていると、別れを惜しんで抱擁している恋人たちがいた。
彼らには、警笛と車掌の催促は聞こえていないようだった。
アメリカ人風の男と、ブロンドのフランス人風の女。
「1年後に、いや、半年後のこの日にこの時間に、もう一度ここで会おう」
お互いの連絡先は教えずに。
恋人たちはそんな口約束を交わし、男は列車に飛び乗った。
走り出す列車を、女は早足で少し追いかけようとする。
なんだか恋愛映画によくある光景だな。まさか実際にそんな場面を目にするなんて。
そんな光景を横目に、僕は新聞を広げる。
求人広告の隣に小さな記事を見つけた。
「ショーン・レノン待望の新作、「Friendly Fire」が8年後に発売!」
8年後か。しかしすいぶん先だな。はたしてそれまで覚えてるかな。
っていうか忘れるだろう。発売されても気づかないおそれあり。
まあ、たとえ忘れたとしても、偶然の出来事が僕をショーン・レノンの新作と
結びつけるかもしれない。
あの恋人たちにも、そんな偶然が訪れますようにと願いつつ、
バッグの中に入れっぱなしになっていた、すっかりしけってしまった
柿ピーをつまむ。
あの恋人たちが再び出会う1年前、僕は8年後にパリで偶然彼と出会う
ことになる。
最近のコメント