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夢で逢えたら・・・

billy_nichols_001
billy_nichols
これはこの前見た夢の話。
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僕は実家でばあちゃんの写真をボーッと眺めている。
白髪を後で束ね、黒ブチ眼鏡で和服姿。
ばあちゃんは約20年前に亡くなっていて、僕は話したことも覚えていない。
正直言うと、生きていた頃のばあちゃんを僕は覚えていない。
たぶん僕が親戚オンリーで「神童」と呼ばれる以前、まあ要するにまだ物心がついていないとき、
ばあちゃんはすでに亡くなっていた。僕の中ではかなり印象が薄いばあちゃん。

そんなばあちゃんの写真を僕はボーッと眺めている。
すると突然、周りが揺れだした!ガタガタガタッ!地震が起きたのか?
僕の胸は急にドキドキとする。手で胸を抑えるほど、心臓が鼓動する。
驚いた僕は辺りを見渡す。壁、天井がギシギシときしんでいる。ばあちゃんの写真にも目をやる。
そしたら!ばあちゃんが写真の中から出てきた!

僕は揺れに耐えようと、必死に手で床を押さえ、半かがみになっている状態。
その傍らにばあちゃんが立っている。ばあちゃんは僕を見下ろしている。
灰色の着物の上に黒の羽織。肌も灰色。
白黒写真だったから?写真そのままの色姿。
何がなんだか分からない僕は、ばあちゃんを見上げている。
するとばあちゃんは、天井に向かってフワ~っと宙に浮いていく。
それにつられてか、僕も宙に浮いていく・・・

そして、ばあちゃんと僕は言葉を交わす。
 
ばあちゃん:「・・・・・。」

僕:「・・・。」

そしてまた!ガタガタガタガタッ!周りが揺れだす。
僕の胸の中も揺れだす。手で胸を必死に抑える。
そしてハッと目が覚めた。

夢なのにすげえリアル。こんな夢は初めて見た。全然覚えてないばあちゃんが突然出てくるなんて。
霊感ゼロな僕なのに、よくテレビでやってるような心霊体験をしたようなかんじ。
この夢は僕の中でインパクト大な夢ベスト3に入る。
マイケル・ジャクソンと握手した夢もいまだに忘れない。
たしか白い手袋してたな。
ある意味貴重な夢。夢だけどなんだか得した気分。

死んだばあちゃんがリアルに夢に出てくるのは吉か凶か?
正直どっちでもいいところもあるが、僕の家族の身に何かおきていないか?
僕と同じ夢を家族の誰かが見ていないか?
壁に飾ってあったばあちゃんの写真が落ちている!とか。
そんな想像が膨らみ、あとちょっと何か心配ごころもあり、ウチの母にメールしたところ、

「それじゃあ今度はじいちゃんの夢でも見てね」

とウチの母Said。
何もなかった模様。正直あんな夢は二度と見たくない。
いい気分じゃなかったしね。「次回じいちゃん編」はかんべん。
百歩譲って夢に出てくるのはいいけど、登場の仕方は考えてくれ。
写真の中からガタガタと揺れて出てくるのはちょっと怖い。
どうせなら、市川準に演出してもらって風が吹くように静かに、粋に出て来てほしい。
登場の音楽は久石譲がクラシカルに作曲し、坂本龍一かグレン・グールドにピアノを弾いてもらう。
背景はアニメーションをつけてもらい、じいちゃんだけじゃ寂しいので他にキャラクターを。
宮崎駿あたりにお願いしたい。適当に短い脚本もついでに頼もう。
森の中から飛び出し、さっそうと空を飛んで登場する勇敢そうなじいちゃん。
それなら僕も落ち着いてじいちゃんを迎えられる。かもね。
まあそれは夢のような話。


ばあちゃん:「ビリー・ニコルズって人知ってる?よかったら今度聞いてみなさい。」

僕:「ありがとう。夢から覚めたら聞いてみるよ。」


そして、首から飛行石を下げたじいちゃんが空から爽やかに登場。
その手には、ビリー・ニコルズの「Would you believe」 が!
僕はそのアルバムを受け取る。ジャケットを眺める。
空飛ぶじいちゃんは用意周到。とても気が利く。

「ここに来る前に森に寄って、オウムの殻を取ってきたんだよ。あの森は危ないな。お前マスクは忘れるなよ。ワシはもう免疫が出来とるから大丈夫だけど。そんで友達のユパってやつに頼んで、特製オウムレコード針を作ってもらった!これを使えば、さぞかしいい気分でビリー・ニコルズが聞けるはずじゃよ。これでスティーブ・マリオットのギターも冴えわたるさ!なあ、ばあさん。」

「ええ、そうですとも。ニッキー・ホプキンスのハープシコードまでも冴えわたりますよ。しかしこの人はいい曲作りましたねえ。最初聞いたときはそうでも無かったんですけど、最近久々に聞いたらとてもよかったんですよ。ポップな楽曲、ソフトにロック。いわゆるソフトロックってやつ?ねえ、おじいさん、ウチに帰ってもう一度聞きませんか?」

「そうだな。ワシはB面の4曲目が聞きたいな。ギターがカッコイイんじゃよ!そんじゃばあさん、帰ったらお茶を入れてくれ。」

「私はA面3曲目が聞きたいですね。だってコーラスが気持ちいいんですもの。トランペットもいいかんじですし!帰ってお茶を入れましょう。」

帰りは自転車で二人乗り。風になびきながら、坂道を下りて行く・・・・


って夢だったらよかったのに!


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創造的なモーツァルト

mozart
うなり声まで録音されてる
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そう、僕も昔はピアノが弾けたんです。
小学校低学年の頃でした。
実家には、ピアノとオルガンがありました。
母が近所の子供を集めてピアノ教室を開いていたんです。
その母の影響なのか、それとも僕が自発的に弾きたかったのか。
今となっては定かではありません。
上手に弾けないと母に怒られ、泣きながら練習していたものです。

今思うと、当時はすらすらと弾いてた気がします。
僕が弾けた曲の中で、いちばん印象的なのはベートーベンの「トルコ行進曲」。
僕のお得意な曲でした。よく弾けびらかして自慢したものです。
親戚からは、「この子は神童ではないか?」と噂され、
「僕って神童なの?」 と幼心に疑心悪鬼だった当時でした。

当然ですが、特にクラシックをピアノで弾くときは楽譜を読みます。
どの音を出すかは音符で確認し、楽譜に書いてある記号を理解した上で鍵盤を叩くのです。
曲の進行、テンポ、音の強弱、表現の仕方は全て楽譜の中にあります。
楽譜に書かれていない事は弾いてはいけません。
まず楽譜通りに、正確に弾く事が最低条件なのです。
その規律を守ったうえで、演奏者はさらなる表現力を求められます。
正確に弾く事なんて、いわば誰だって出来ますからね。
ロボットだっていいわけです。正確さを求めるなら、コンピューターに弾かせればよいのです。
何百年も前に書かれた楽譜。今まで何人のピアニストがその楽譜を弾いたのだろう。
彼らは楽譜の伝統、規律を守りつつ、さらにその中で自分を表現しなければならないのです。
なんて厳格な世界!


前述しましたが、当時の僕はベートーベンの「トルコ行進曲」がお気に入りでした。
楽譜に忠実に弾いていた、と思います。今思えばとてもシンプルな曲です。
当時の僕は、その曲の単調さに飽きたのか、またはもっとレベルの高い曲を弾いてみたい、と思ったのか。
次に挑戦した曲は、モーツァルトの「トルコ行進曲」でした・・・。


そのときが、僕の人生で初めての挫折だったと思います。
まったく弾く事が出来ませんでした。指が思うように動きません。旋律の幅がとても広いのです。
僕の小さな手のひらでは、次に弾きたい鍵盤に指が届きませんでした。
悔しかったですね。また泣きましたね。
「指よ長くなれ!」と願いながら、よく自分で指を引っ張っていました。
ベートーベンのものとは曲の始まりから違います。Aメロからいきなり速弾きを求められるのです。
音符を読むことは出来ましたが、指がついていきません。左手なんて、もってのほかです。
右手で精一杯、左手の出番はありませんでした。

それでも当時の僕は努力したと思います。
左手にも頑張ってついてきてもらい、母も陰ながら応援してくれました。
しかしながら、最後まで弾く事は出来ませんでした。
サビ前で挫折。「今からいいとこなのに!」とモーツァルトは言うでしょう。
なんとか弾けたAメロも、彼が書いた楽譜通りの速さでは弾けませんでした。
当時の幼心で決断、英断。

僕は諦めることにしました。
楽譜に書いてある事すら出来ず、自分を表現する域に達するなんて到底無理でした。
そのときから、僕はピアノを弾かなくなってしまいました・・・。


あの苦い思い出から20年が経ちました。
「もしあのとき、もう一度奮起して弾いてたら・・・」 と後悔することもあります。
しかし時すでに遅し。いまやピアノは両手で弾けず、楽譜を読むことすら出来なくなりました。
後悔するのも後の祭り。僕はもうモーツァルトにはなれません。
ちょっとピアノが弾けただけで 「神童」 と呼ばれた当時が懐かしく思えます。
まあ言うだけタダですしね。周りからすれば、宝くじを買ったとき並の期待感です。
残念でした!

モーツァルト「トルコ行進曲」のサビは、とてもキャッチー。
オレこのメロディが結構好きなんです。
このCD、今年実家に帰った際に父の部屋から勝手に持ってきたんですが、
グレン・グールドというピアニスト。僕は彼については何も全く知りません。
CD解説を読んだところ、彼は、「モーツァルトなんて全然好きじゃない」 と思いっきり公言してたそうです。
でもなぜかモーツァルトの曲を全曲録音したそうです。え?なんでだろう?
グールドが弾くモーツァルトは、

「楽譜の指示を無視したようなテンポや音の強弱、リズムやフレーズの独特な扱い方など、これほどユニークなモーツァルト演奏は例がないだろう。従来のモーツァルト演奏の伝統や習慣を厳しく拒絶したようなこの演奏は、絵画におけるピカソの行為に比べられる程で、あくまでグールドのモーツァルトとして再構築している」
(解説より抜粋)

なるほどスゴいね。
でもスミマセン、僕にはそこまで理解できませんでした!
けどそんなグールドにジェラシーは感じます。
だって君は、さぞかし神童だったことだろう。
ウチの近所に君が住んでなくてよかったよ!


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We are the Village Green (reprise)

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ところで僕らはサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド

僕らもビレッジグリーンにやってきた!

でも実はね、途中で道に迷っちゃったんだ。

けど僕らの友達ルーシーが地図を持っててね。ちょっと助けてもらったんだよ。

彼女はダイヤをつけていて、空を飛びながら案内してくれた。

途方に暮れていた僕らは、彼女の姿を見て気分は上々!

でも上を見ながら歩いていたら、補修途中の穴に落っこちた。

そしたら彼女を見失った。彼女はどこかに行ってしまったんだ。

またまた途方に暮れた僕らは、とにかく当ても無いまま歩いた。

そしたらサーカス小屋を見つけたんだ。カイトって人が僕らを小屋の中に招いてくれたよ。

彼はトランポリン・ショウを披露してくれた。それはそれは驚きなショウだったよ。

だってサーカス小屋の中から飛び出して、外まで飛び跳ねてたんだからね!

僕らも小屋の中を飛び出して、外まで彼を追っかけて行ったんだ。

彼のショウを存分に楽しんだ僕らは、そのまま小屋に泊めてもらった。

でもなかなか寝付けなかったから、いろんな話をしたよ。

子供の頃の思い出話とか、みんなの憧れだったかわいいリタの話とか、

たとえば僕らが64歳になったらどうなってるのかな?とか。

そしていつの間にかみんな眠りについた。

朝はニワトリの「おはよう!おはよう!」って声で目が覚めた。

コーンフレークで朝食を済ました僕らは、再びビレッジグリーンに向かって歩き出したんだ・・・。


つーわけで僕らはサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド

ビレッジグリーンに着いたのは2006年!

なんと僕らはたどり着くのに40年もかかってしまいました。

さあショウを始めよう。みんな準備はオッケー。

レディース&ジェントルマン、お待たせしました、どうぞ僕らのショウをお楽しみください!

正真正銘、僕らはサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド

みなさんの生活に僕らの音楽を。

みなさんの素敵な1日のお供に、僕らの音楽を!

広場の犬も連れてきて、さあいっしょに。

ではみなさん、♪%&'())=~"#?$|0#(” ♪!!!

  

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